第117号 2022/4/1発行
人身受け難し
「いのち」が願う平和
いまだに世界中で新型コロナウイルス感染が収まらないで、普段の生活がままならない最中に、ウクライナへのロシア軍の侵攻が起き戦争となりました。戦況が拡大すれば、ロシアは、核兵器を使うことがあるかもしれない用意があることをにおわせています。また、ウクライナに手を貸した国は、敵国とみなし攻めてゆくといい、第三次世界大戦を予感させるような反発の声を上げています。
日本は、核兵器の被害を受けた唯一の国なのだから、核兵器がかかわりそうな戦争は、先頭に立って声を大にして、この戦争を止めさせるための努力をしなければならないと思います。国の正義がみんなの意見として、国民をごまかしながら、間違った正義のさす方向へ進んでいった経験をしたことを、反省したのではなかったでしょうか。思い出しましょう。
そのような戦争を、この地球上で二度としてはならないということを、一番声高に叫ばなくてはならないわが国が、中々はっきりしないで、時間をかけて忖度しているように感じられます。時間が経てばたつほど無駄に命が奪われてゆくのです。ここで世界遺産にしようと応援された平和憲法「日本国憲法」を持つわが国が、先頭に立って和平を叫ばなくてはならないと思います。
平和って、皆と仲良くしようと思う心から始まるのではないでしょうか。
ソ連(現在ロシア)の世界最初の宇宙飛行士ガガーリン少佐は、「地球は青かった」といい、地球の美しさ、汚れなさを感動と共に表現されました。日本人で最初の宇宙飛行士毛利衛さんは、「国境は見えませんでした」「地球は一つなんですね」と、地球は皆で住み皆で育てながら大切にしなければならない宝として感じられています。
私たちも、海外旅行などで飛行機に乗りますが、そこからでも国境や県境は見えません。しかし、地図を開くと、しっかりとした線が引かれています。県境を越える時には必要ありませんが、国境を越え他国に入る時は、行く先の国のビザ(入国許可証)や、身分証明書となるパスポート等が必要になります。
人間以外の生き物みんな、自分の意志で自由に出入りをし、仲良く一生懸命に生活しています。私たちは、幸福になるために、自分の目標に向かって生きていますが、その目標は、自分の思い通りになる、自分の都合と合うようになる方向ということになります。すなわち、自分が良ければ他の人を踏み台にしても願いをかなえようとしています。そういう六道を流転する生き方しかできない私たち人間は、私を越えて指示される仏の心と出会う生活が必要なのです。
今回のウクライナへのロシアの侵攻は、ロシアだけが得をしたり、有利になる事を中心に考えての方向なのですね。その行動によって、たくさんのいのちがかかわっていますが、これらのいのちも、長い時間を危険を乗り越えながら、多くの仲間と未来を見ながら必死に命がけで次のいのちを育て、送り出され伝えられてきた尊いありがたい「いのち」ではないですか。
私たちと同じいのちを、人間の興す愚かな行動によって奪われるのは、私のいのちそのものが、悲鳴を上げているのではないですか。
今は、ただすぐに戦争を止めて、これ以上の死傷者を出したり、生活場所を破壊することのないよう願うだけです。
「移徙(わたまし)」という言葉を知っていますか?
家を建て替えたり、新築した後に一般に行われる新築祝いの宗教的儀式です。お世話になっておられるご縁の深い方々をお呼びして、大きな借金を背負ったけれど、この家という入れ物の中で、家族、家庭を育て安心して帰れる、また、訪ねてきてもらえる家は、仏様の心を中心として作っていく決意を、集まられた皆様に報告し、これからの生活を見守っていただくことを御願いする法要なのです。
その時は、阿弥陀如来あるいは聖徳太子をお迎えしてのお飾りをします。
親鸞聖人は、お釈迦様を教主と頂き、聖徳太子を和国の教主徳王と言われています。
古くから浄土真宗の生活の中に、家を離れたり、独立したりした時には、本家あるいは親が、大切に伝え生きてきた生活の指針としての仏様(阿弥陀如来)を贈り、ご先祖様のおかげを忘れないでほしいことを伝えてきた伝統があります。
仏様の心が指し示される方向と真向かいになることによって、自分は今何処にいて何処へ向かおうとしているのか知らされるのではないでしょうか。
正信偈
当院 井上宗温
私たち真宗門徒が現在一番多くお勤めしているのは「正信偈」です。赤本と言って、聞光寺の本堂にもお勤めの本が置かれていますし、持っておられる方も大勢おられると思います。
この「正信偈」ですが、「正信念仏偈」というのが正式名称で、親鸞聖人の著書である『教行信証』に書いてある一部分です。そして、この「正信偈」を今のようにお勤めするように言われたのが、親鸞聖人から数えて八代目の蓮如上人です。
「偈」というのは、一定のリズムを持っていて暗唱しやすいように書かれた文章の事を言いますので、親鸞聖人は元々、このように何度も繰り返して読みやすく、覚えやすいように偈文の形で書かれたのだろうと思います。
初めからその内容が分からなくても、正信偈の音程とリズムで歌のように身に染み込んでくることはあると思います。漢文で書かれているので、今の私たちにとっては、現代語に訳さなければなかなか内容は分かりませんが、正信偈には浄土真宗の教えの肝要がまとめられています。
正信偈のお勤めをすることを、真宗の入り口として蓮如上人は考えられたのではないかと思います。
そんな事で、正信偈のお勤めを学ぶのを機に、真宗の教えに触れてみませんか。4月より月1回、聞光寺本堂にて正信偈の練習会を行いたいと思います。どうぞご参加ください。
4月8日(金)10:00〜11:30
5月8日(日) 〃 〃
6月8日(水) 〃 〃
7月8日(金) 〃 〃
※それぞれ独立していますので、連続で参加しなくても大丈夫です。
盆内に参詣したことありますか
盆内とは、お盆のお参りのことを言っているようであるが、柏崎地域のお盆は8月13日から16日として、お盆に関する行事が行われます。
私(住職)が、聞光寺に来た頃は、四ツ日間で1000人を超えた方が参詣されており、子どもたちも多く、おばあちゃん・おじいちゃんと一緒に来ていました。
しかし今は、四ツ日間で300人に満たなくなっています。
最近はコロナ禍の中なので仕方がなかったけれど、落ち着いてくれば多くの方がお参りされ、賑やかになることを願っております。
7月に行われる盆内は、8月のお盆には寺が離れていて、お墓参りをしながら寺詣りができないので、先祖さんが大切にされていた阿弥陀様に先にお参りをしているのです。
ご門徒の皆様がお参りに集まられる機会に、仏教の話を聞いていただき、ご門徒さんから布施として頂いたお米や野菜で作った食事をみんなで楽しくいただく講として開催されているのです。
今は8月のお盆とは別に、檀家の方々や檀家から嫁に行ったり独立された方々が盆内の日を合わせて集まり、お参りの後、実家での集会に変わってゆく、年間行事に変わってゆくのです。