第130号 2025/7/1発行
慈悲とは 命そのものの 要求である
現代は幸せですか
暑い7月になりました。聞光寺の年度は7月1日から、次の年の6月30日までなので、新年度が始まりました。昨年度はありがとうございました。今年度もいろいろな行事や研修会が多くありますので、肩の力を抜いて参加してください。新しいことも多々ありますのでよろしくお願いします。
以前、当たり前に使っていた言葉や態度が、差別的とかセクハラと言って非難されたり、社会問題としてマスコミ等に取り上げられていますことで、私より年を重ねた人たちは、自分自身の態度を振り返っていたことを思い出します。差別用語と言っても、使う人、使う相手、使う場所や地域の方言での使い方等で、素晴らしい言葉や態度になったり、相手を傷つける言葉や態度になったりしていることで、困ったことが沢山ありました。差別の言葉や態度がやっと気付かされ、言葉や態度が普通に話せるように身について、安心して動ける現代社会を感じるようになっていました。
しかし最近は、差別を気にすることが時代を動かしている私(老人)に、身動きが取れなくなるような形で社会環境が後押しするように変わってしまいました。差別のように知らず知らずに受け入れてきた間違いによって育ってきた間違いではなく、私たちの普通の考えではなかなか切り返すことのできない新しい機械(パソコン・携帯電話等)が、私のかかわらない事でも、私のせいになっていることが、日本中いや世界中に簡単に伝わって行くようになっています。小さな失敗やつぶやきが、本人の思いや考えと違った内容で一瞬のうちに世界中に拡散されています。
書き間違えたと思う間にほかのところに伝わってしまうことで、訂正の時間を作ることさえできないで伝わることが多くなっているようです。また、ちょっと自分の心や思いと違う人に、意見や反論をしたことで、仲間や親しい人が、知らない多数の人によって引き離されてしまうような社会になってしまっているのではないだろうか。
顔が見えない匿名で言えるから、故意におとしめるために利用するような人たちも多く現れてきているので、何を信じてゆけばいいのか分からない時代と言ってもいいのかもしれません。煩わしかったけれど、心配してもらっているような付き合いを感じる日本人の心の深さをなくしてしまうような方向へと進んでいるような気がします。
「興奮するようなことに出会ったならば、反発は一日経ってから申すことがいい。」と、血気盛んな頃、先輩に言われたことがありました。ときどきに、一歩立ち止まり一呼吸入れてからの行動が大切なことが感じられます。
しかし、なかなか・・・。
そんな私だから、便利で簡単な現代の機械を使うと、ボタン一つで世界中と繋がってしまう事は、ちょっとした不注意や間違いではすまされないことになってしまう事があることを、簡単に予想することができます。私側から見れば、「善」と思うことも相手から見ると「悪」と見える。何がよくて何が悪いのか判らない現代社会で生きる私達は、「煩悩」を持っているが「仏性」も持っているものが、ゆっくりと時間を持っての関係を良くしてゆかなければ、一つの地球に住んでいる者同士がともに生きてゆくことができないのではないでしょうか
十組子ども会キャンプ
当院 井上宗温
5月の末に十組子ども会が開催されました。妙高市に「池の平青少幼年センター」という真宗大谷派の施設があり、そちらを会場として1泊2日の日程でした。あいにく子ども達に人気の「風の陣」と日程が被ってしまいましたが、十数名の子ども達が参加してくださいました。
それぞれ自分の好きな珠を使って腕輪念珠を作ったり、ピザ窯で焼くピザに思い思いのトッピングをのせたり、カレーライスをみんなで一緒に作ったり。けれど、一番盛り上がっていたのは、フリータイムにみんなで追いかけっこなどをして走り回っている時間の様に感じました。
そして、暗くなったら、少し季節の早い花火もしました。そして、施設のお風呂は源泉かけ流しの温泉という事で、一日の疲れも汚れもすっかりおとして就寝・・・のはずが、友達と一緒の子ども達は大盛り上がりで夜中まで寝静まることはありませんでした。
次の日は、夜中まで起きていたとは思えない程の早起きで、「朝風呂いってきまーす」と元気な子ども達には驚くしかありませんでした。その後は、うどん作りをしたり、近くのいもり池の周りを散策したりしました。池で魚を見つけて喜んだり、大きなナメクジを見つけて皆で騒いだりと、子ども達は何にでも興味を示して楽しんでいました。
帰りの車の中では、疲れてぐっすり眠っていたのではないかと思います。今後も同じように続けて行けたらと計画しておりますので、よろしくお願いします。
「いのち」の願い
アメリカ大統領がトランプ氏に変わった1月から、世界の国々への貿易関税のことで、世界各国のトップが頭を悩ませているようです。日本では特に頭を抱えて考えているのではないだろうか。
関税と絡めて防衛費の増額を言い出してきましたが、破壊しか生み出さない銃器を求める予算を増やすのならば、こよなく日本を愛してやまない日本人が命終わるまで安心できる保険や福祉、教育費等を充実したり、どんな災害や飢饉が来ても、十分に渡せる食料事情、そしてそれを保証するための食料自給率の確保等、壊すものではなく、育てることに力を入れなくてはならないのではないだろうか。壊すことを目的としてお金を使うより、生きている人に安心を与えることにお金を使うことを願っている人はどれほどいるでしょうか。
日本人だけでなく世界の大多数の人は私たちと同じように思っていることでしょう。みんな幸せを作り出すことのない破壊の道具に多くの資金を使うことの無意味さを感じ取れるようになるのはいつになるのでしょうか。