発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第120号 2023/1/1発行

第119号

出てきた煩悩親譲り

令和5年を迎えて

明けましておめでとうございます。
昨年も、新型コロナ感染が何回も繰り返される中で、防御しながら進んでいましたが、一番大事な報恩講(お引上げ会)の時に捕まってしまい厳修することができませんでした。今は、元気に法務を頑張っていますが、他人とゆっくり会えることのうれしさをしみじみ感じました。
色々の出来事を通して今の地球が作られていることを思うとき、聞光寺も大変な歴史を通ってきたことを想像します。今、聞光寺が皆様と一緒に歩んできた歴史を簡単にたどってみたいと思います。
来年に親鸞聖人生誕850年の法要がございますが、聖人が関東におられた時に、聞光寺開基の釋宗観(井上四郎高義)が磯辺勝願寺1222年(貞応元年)に出家得度しています。昨年2022年は、その出家からちょうど800年にあたる年でした。その磯辺村において一宇を結び布教活動をしていたのが聞光寺の始まりになります。
「聞光寺」という寺号は、1310年(延慶3年)に聞光寺第三代宗賢が本願寺第三代覚如上人より賜ったものです。
そして次の年1311年(応長元年)井上氏の故郷信濃国下高井郡小柳郷村に移りました。この場所は今の上信越高速道路の、長野・須坂インターチェンジの辺りになります。
1584年(天正12年)に第八代永順が越後国米山寺に移るのですが、信濃より一緒に来られたご門徒の方々は、聞光寺より先に刈羽郷に入られて、聞光寺の地盤固めをされていたようです。その中心になられた方々として名前が伝えられておるのは、上条・小林氏、堀・中野氏、田塚・大矢氏、橋場・江口氏、伊毛・山ア氏の五人です。
その後、1592年(文禄元年)第八代永順が亡くなったことと、柏崎を中心とする環境が整ったことを機縁に、現在の場所に移ってきたようです。本堂を建立するにあたり、求められたご本尊は、三尺3寸という事は、私まで伝わっておりましたが、製作年・製作者は分からなかったのです。
しかし、不幸が幸いして、先の中越地震の時に、ご本尊さまが倒れて骨折してしまったり、接着が離れたりして本体がガタガタとなり修復が必要となり、直してもらうことになりました時に、直してくださった仏師さんが色々と調べて下さり、運慶・快慶の流れをくむ「慶」派の仏師であることが解りました。
柏崎に移ってきてから430年経ちますが、現代に至るまでに六度本堂を失っておりますが、すべてにおいて本堂再建がなされております。ちなみに火災が5回、地震が1回なのですが、再建されてから3〜4年で火災にあったことが2回あります。しかし、聞光寺からの出火ではなく、柏崎大火とうの延焼によるものです。
そのように、ご門徒さんの力を借りながら、長い時間を歩んできましたが、遠距離にある檀家さんの中には、希望をかなえてもらえないことが多々あるので、聞光寺とのご縁を切られた地域や人がたくさんおられます。
過去帳を整理していて、お檀家さんの地域の広さや多さを長い間守ってこられたご門徒さんのご苦労を偲ぶとき、自身の至らなさを感じます。便利な世の中になって、どんなに遠くてもでかけて行けるのですから、自身の故郷として先祖代々を大事に永く見守ってほしいと思います。
特に多く縁が切れたのは、明治時代の個人の自由な社会進出と、第一次・第二次世界大戦のころの行動規制であるような気がします。
はっきりとは分かりませんが、高柳磯の部村の法名が明治以前はたくさん書いてあります。聞光寺初期のころ茨城県磯の辺にいましたので、そこでのご門徒さんが長野・米山寺・柏崎と移動した聞光寺と共に移動してきたのではないかと推測します。今は一軒も磯の辺出身のご門徒さんがありません。
聞光寺の歴史について、これ以上のことを知っておられる方は教えてください。宜しくお願いします。 合掌

みんなの本堂をもっと使いましょう

長いこと新型コロナ感染の為実施されなかった、仏の心や働きを誰もが学べる場を作りたいと思い、下記のように計画しました。テキストは『歎異抄』です。宗祖聖人のご在生の時に聞いたことと、現在行っていることの違いを嘆き、教えて頂いたことをもう一度道標として問いかけられている書物です。連続講座ですけれど、小さな章に分かれていますので、何時からでも、何処からでも聞いてゆけます。たくさんの人を誘ってお出かけください。

期 日 3月6日(月)午後2時より
会 場 聞光寺本堂
聴講費 お賽銭をもってこれに充てる
テキスト 東本願寺出版『歎異抄』(聞光寺にて一人一冊用意いたします)
講 師 田沢 一明 師 (新潟市 明誓寺住職)
(真宗大谷派三条教区選出 東本願寺宗議会議員)

5月、6月には、聞光寺同朋会で2回の定期法話会を開催します。その都度、寺報「聞光」にてご連絡します。

『歎異抄』に学ぶ

当院 井上宗温

『歎異抄』(たんにしょう)は浄土真宗の書物の中で、『正信偈』に続いて二番目に多くの人に読まれ、知られているものではないかと思います。私も、真宗の勉強をするために京都にある大谷大学へと行きましたが、最初に読んだ真宗の教えが書かれた本はこの『歎異抄』でした。
この『歎異抄』ですが、作者は親鸞聖人の直弟子である唯円(ゆいえん)という人だと言われています。
親鸞聖人が亡くなられた後、その教えが異なって伝えられていく事を歎いて、唯円が直接親鸞聖人から聞いた話を中心に書いたものがこの『歎異抄』だという事です。
その中で一番有名な言葉が、「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」というものではないでしょうか。そのまま現代語に訳すと、「善人だって往生できるのだから、悪人は言うまでもなく往生できる」となります。この言葉に、「あれ、反対じゃないか?」と感じるのが、初めて『歎異抄』に接した人の反応だと思います。
そんな事で、普段の娑婆生活の中での私たちの感覚と、親鸞聖人に説かれている真宗の教えとの違いに出遭う入門書として『歎異抄』が多くの人に読まれているのだと思います。
聞光寺では年に4回の計画で、新潟市の明誓寺より田澤先生をお招きして、歎異抄の会を行っています。どうぞご参加ください。

法名と戒名

法名とは、真宗門徒において仏教をお説きくださったお釈迦様の仏弟子となり、仏法を拠りどころとして、我が生涯を生きようとする決意の名告りです。よって、法名にお釈迦様の「釋」の一字をいただいて、「釋○○」「釋尼○○」とするのです。したがって、当然ながら生きているうちに「帰敬式」を受け、仏弟子となって「法名」をいただくのであります。決して死者に付ける諡(おくりな)ではありません。
皆さんが間違えておられる戒名は、仏教徒として生きてゆくことを誓って、受戒したときに授けられる名を言います。戒とは、仏教徒が守るべき生活規範を言い、在家信者用には五戒というものがあり、その戒を守りながら生活をするのです。
五戒
一、生き物を殺してはならない。
二、盗みをしてはならない。
三、正常な夫婦関係以外の婬事をしてはならない。また思ってもいけない。
四、嘘をついてはならない。
五、酒を飲んではならない。

たった五つなのに私の生活は、自分のよりよい生活を求めて、これらを裏切った生活をしているようです。
しかし、真宗では我々衆生は、「煩悩具足の凡夫」と知らされ、戒などとても保ち守る事ができない「我が身」と自覚されるのです。したがって、受戒し戒名を受けることがないのです。