第109号 2020/4/1発行
すでに道あり
短い人生 そんなに急いでどこへ行く
日本だけとは言えないでしょうが、日本のこの冬は、極端に今までとは違うようです。雪の季節が来る前に、常に雪と対決するために、雪国の人は大変な準備をしています。今期は、その準備が一つも働くことがなく、構えていた人たちをがっかりさせています。冬でも雪が無いほうが仕事でも経済でも助かります。
しかし、冬に雪がいつもの年のようにある、いつもの年のように寒い所で生活している人たちは、いつもと違うと困ってしまうのです。今まで作り上げてきた生活文化が、間に合わなくなり、その変化について行くことが出来ないばかりでなく、ついつい慣れ親しんだ行動をしてしまうのです。天候においては、地球温暖化ということだけで考えてはならないのではないでしょうか?
私たちの日頃の生活はどうでしょうか?還暦を過ぎた人の生活・食事はどうなっているのでしょうか?年を重ねるごとに、その年齢年齢で生活が変わってきているのはよく分かりますが、近年はあまりにも早く変わりすぎてついて行けなくなっているようです。
今あるものが、私の手に負えなくなった時、次に新しいものが生み出された時には、私は厄介者になってしまうのでしょうか。ならば、年齢に関係なく時代について行けない人は厄介者になってしまうのではないですか。ついて行けない人を厄介者と思っている人も、遅かれ早かれ厄介者になる身です。
人それぞれに良さを持っている。(一切衆生悉有仏性)
人は皆違う性を持っていることをそのまま認め合い、ともい尊びともに歩もうとすることで、楽しい安らいだ社会になるのではないでしょうか。お互い煩悩具足の凡夫、思い通りになることのほうが少ないけれど、難しい思いが成就した時の喜びは、何にも代えがたい喜びとなることでしょう。生き物が、命をつなげてゆくことは、命の危機を乗り越えながら生命の発生時から繰り返されてきたのですから、この時代こそ、私たち人間のおごりが問われている時なのかもしれません。
それぞれの時代に、それぞれの環境の中で、新しい命をつなぎながら、新しい生活文化を作り上げてゆくことになるでしょう。長い時間を必死に生きてきや、何もできなくなった高齢者が、ちょっと振り返ってみると、未来の人たちのために、良かれと思いやってきたことが、ちょっと首をかしげなくてはならない今の時代をつくり出してきたのかもしれません。
今を生きている私たちは、変化が急激すぎてついてゆけない、あるいはやっとついていっているので、心身共にストレスや疲れで悲鳴を上げているのではないでしょうか。今を作りだした高齢者が言うのはおかしいかもしれないけれど、一つ前の時に戻ってみてはどうでしょうか?二つ前の時と比べたら一つ前の時は、スムーズで、すごく楽しくストレスが出るどころか元気が出てきたのを感じませんでたか。
自分がゆっくりしたいと思っても、時代に背中を押されているのかもしれませんが、長い時間をかけて私のところまで届けられた今なのですから、私の生き様を、私だけでなく誰でもの命をも、もっと大切に育てなければならないのではないでしょうか。
前記のことを考えながらの日々の生活が、これからを豊かにしてくれるのではないでしょうか。
心に刻まれているもの
還暦を過ぎ、会社からミハナされる65歳を過ぎる頃には、子供たちも独立やら所帯を持ったりして離れてゆきます。勤めていたころには、家族との賑やかさよりも仲間との時間が楽しかった気がするが、仕事を辞めてしまえば、仲間も子供たちもいなくなっている。
親がいてもあまり話し相手にはならないし、連れ合いとの話は、同じ話ばかりで新しい話題はあまり出てこない。高齢者が楽しく過ごすには、趣味を持つか熱中することのできる何かをやるということでしょう。
しかし、仕事で忙しい時に、時間を作り出す工夫をし、実行してこなかったために、時間が出来ても時間の使い方がよくわからないので、無駄な時間だけが過ぎて行ってしまうのでしょう。忙しい時に感性が磨かれ、普段見えないチョットした事に気づかされてゆくのではないでしょうか。
そんな時に、本当のこと、本当の友など、私の思いを超えて私を支えていた心に、気づかされてゆくのでしょう。デジタルが中心の現代のなかにおいて、そのままでも素晴らしいものが沢山あることに気づき、探してゆく歩みを年を重ねれば重ねるほど必要になってくるのではないでしょうか。
年を取ってはいられません。やる事がたくさん出てきますので、思い立った時から始めましょう。さわやかな身体と心において、「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)を、改めて頂き直さないと大変なことになります。