第79号 2012/10/1発行
願われ生かされている私
先代住職を偲ぶ
今年は先代住職「凡愚院釋宗華」の十三年忌にあたっております。
10月25日に聞光寺として法要を計画し、皆様にご案内を出したところです。是非お時間をとって下さり、賑やかな集いにして頂きたいと思っております。
もう12年もたったのかと思うくらいに早く感じられます。
先代が亡くなられてから、中越・中越沖地震があり、最近では東日本大震災があっただけでなく、日本中では風水害で沢山の方々が被害をうけられ、未だに立ち上がれない方が沢山おられます。そんな大変な時を、聞光寺も通ってきました。
本堂・鐘楼の倒壊という大変な被害をうけましたが、お檀家の方々自身も、多大な被害を受けておられるにもかかわらず、本堂再建を進めて下さり、再建された本堂で、先代住職の十三年忌法要を勤めることが出来る事を嬉しく思います。
寺の事、ご門徒さんのことを一番に考えておられた先代は、庫裡が完成した時に、「聞光寺として必要なものはすべて整えたつもりだから後はお前(現住職)が皆の為に働かせてくれ」と、住職を譲られました。
地震によって本堂が倒壊したのを見られたらガッカリされたことでしょう。
しかし、皆さんと共に再建した本堂を見られれば、安心して喜んで下さることでしょう。
先代は亡くなる一週間くらい前まで、あと1回となっていた「正信念仏偈」のお話の原稿を書いておられました。そして、その原稿も手の届く所に置いて、少しでも具合が良くなったら続きを書こうという日々を送っておりました。
自分の命が終わる最後の時まで、自分が仏法を学んだ如来様の温かさを皆に伝えたかったのでしょう。
世間では僧侶を敬っているように見えるが、葬式・法事坊主として思われているような現実があるのではないでしょうか。
しかし、先代は死ぬ間際まで如来に仕え、「世の中安穏なれ」と願い、仏法を世界に伝えようとされていた本当の僧侶なのではないでしょうか。
そんな先代も、死ぬ2日前に前坊守に、「ありがとう」と言ったそうです。
その言葉で前坊守は「もうだめかな」と思ったそうです。案の定それから2日目でした。
思いがけない言葉が病人から出てきたら気をつけて下さい。
「もういい」と思って、生きる力を抜くようです。
その時になってどうするかはそれぞれの・・・・・。
◆皆で考えよう◆
「今年は暑かったね。」という声が、誰からも聞こえてきました。思えば夏の終わりには毎年使っている言葉のようです。
汗かきの私は、今年は特にタオルを多く使ったように思います。
暑い夏が終わると、暑い太陽のエネルギーをもらって育ったおいしい恵みが届く季節になります。
冬の寒さに耐えぬいてきたお礼に、柔らかな温かさと心地よい風をいただくことが出来ます。
しかし、最近の日本においては、四季と言われる節がはっきりと感じられなくなったように思います。
日本だけでなく世界中で、今までと違ったように感じられた方が沢山おられるのではないでしょうか。
昔と生活状況が違ってきたのだから違ってきて当然なのかもしれませんが、私達の生活は良くなってきているが、私達を包んでいる自然環境は節を作られなくなっているように思われます。
今まで作り上げられてきたそれぞれの文化が、そのまま続けてゆく事が出来なくなってしまうのではないか心配です。
長い時間をかけて作られてきた文化は、その時に生きてきた人達の、自然と共に生きてきた証なのだと思います。
「このままでは地球が無くなってしまう。それでもいいの。」を立ち止まって皆で考える必要があると思います。
もう私、私の国、人間という枠を超えて話し合わなければならない所まで来ているように思います。
私じゃなく、私達からの出発です。
皆違っているからいいんじゃないの。違っているから色々な事が考えられるよ。
同じだったら楽しくないでしょうね。