発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第77号 2012/4/1発行

第76号

仏法には、明日と云う事は、あるまじき由

地球のことは 私の問題

昨年3月11日の地震と津波によって、とんでもない被害をうけられ、今もなお苦しんでおられる方が沢山おられます。

この東日本大震災から一年が過ぎましたけれど、死者は1万5千人を超え、まだ3千人以上の人が行方不明になっておられます。

また数十万人の方々が、働く場所をなくしたり、避難生活や仮設での生活をしなければならない日常の中で、心身ともに癒されるという事は、まだまだ起きてこないのではないでしょうか。

それでもメディアや現地の人達の話を聞くと、少しずつでも立って歩けるようになってきたことを喜んでおられることを嬉しく思います。

しかし、瓦礫の処分と街づくり、そして産業の復興が、国や行政の動きが鈍いので、住民は如何していいか分からない事が沢山有り過ぎるようです。

その他に人間としてしっかりと考えなければならないのが核(原子力発電所)のことです。

福島の原子力発電所が事故を起こしてから、未だにどうなるのか、どうするのかがはっきりしない。如何することもできないでいるのだろうか。

世の為、人の為と言いながら動かない国や電力会社。住んでいる所に影響がないから問題とは思わない民衆が多くいます。

立っている場所や、培ってきた考え方の違いが、自分にとっては、都合の良い事か悪い事かで判断している煩悩具足の私達がいるようです。

世界中どこを探しても、自分と同じ人はいないけれど、私と同じ煩悩具足の違った人がいるから楽しく生きてゆけるのだと思うのですが?

しかし、「いのち」の願いだけは違っていないはずです。

「いのち」の願いは、私の為の願いではなく、共に生きて行く事しかできない生命に与えられた尊いものだと言えるでしょう。

災害に対して、何とか手助けをしたいけれど、今の私の生活が余裕ないので「次にしよう」というようになってしまう事が多くなってきたのではないでしょうか。

煩悩をフル回転しないと生きて行けない社会になってしまったようです。

暴れまわる煩悩をみんな持っていたけれど、日本人はもっと優しさを持っていたし、嘘をつけない正直者が多かったのではないでしょうか。

近頃は嘘をついたり、約束を破ったりしても恥ずかしいとは感じない社会(国)になってしまったかのように感ずるのは私だけでしょうか。

あらためて東日本大震災後を振り返ってみると、「絆が大事」と言いながら、今の生活を崩してまでも協力しようとは余り考えず、文明の上にあぐらをかいている私達の生きようを、共に生きようとしている「いのち」に立って、問い変えさなければ、生命の生きる素晴らしい地球を、子供達の未来に届けることができないと思います。煩悩具足である私を確認しましょう。

新しいものに変わるとき

新しいものが動き出すと、古いものがなくなってゆくのですね。

北陸新幹線が2014年に金沢まで開通する予定になっていますが、柏崎から京都本山へはどう行ったらいいのでしょうか。

北陸本線を走っていた関西へ直通の列車、特急「日本海」と、急行「きたぐに」は3月の時刻改正で廃車になってしまいました。沢山の思い出を頂きましたが、時代は動いているのですね。

柏崎は、地方の町ではあるけれど、中心的な街なので、特急・急行が止まるのがあたりまえであるかのように思っていました。

鈍行列車しか止まらない駅の町を差別していたようです。

新幹線が走り出すと、特急・急行はいらない列車になってしまうのですねぇ。柏崎駅は過疎になってゆく街の駅になってしまうのですね。

日本中に新幹線ができると、各県には、三つくらいの都市があるだけで成り立つ経済社会となるのでしょう。

一極集中の都市生活が、自然を壊し、人間がロボットになってしまう未来が来てしまうのでしょうか。

日本は、誰もが楽しく安心して安全に過ごせる方法を考えるのではなく、権力や地位・能力のある人が、よりその力を大きくするために、文明や科学が使われている様な仕組みになっているのではないか心配でなりません。

私たちが、便利よく、都合よく、思い通りに生きようとすると、意識にならない所から差別や過疎を作り出してしまうこと、自分で自分の首を絞めていっている事をしっかりと認識しなければならないと思います。