発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第73号 2011/4/1発行

第72号

他力とは自らの思いと他なる働き

人災が80パーセント

3月11日に起こった千年に一度と言われる大きさの地震と、それにともなった大津波。そしてそれによって破壊された原子力発電所の倒壊。そこから来る海・山の放射能汚染。二重三重の被害を受けていると同時に、風評被害も、弱りきった心に大きなダメージを与えています。

これらの被害で亡くなられたり、行方不明の方々にお悔やみ申し上げます。

命は助かったけれど、生活の糧を失った多くの方々は、先が見えない中で避難所暮らしと、今後も大変なことを覚悟してでの出発。一緒に頑張りましょうとしか言えないのでしょうか。

私達新潟県人は、七年・四年前に大きさは違うが、地震によって被害を受け、沢山の方々に助けて頂いた恩返しと共に、私達の経験を生かした応援をして行きましょう。

災害を考える時に、人災なのか天災なのかをしっかりと考えなくてはならないと思います。

人間の考えてきた事は、自分に都合の良い事からの発想ばかりだからです。みんな(生きとし生けるものすべて)がよくなる為の考えではないからです。

みんなと言いながら、自分の周りの関係者の都合が良くなる事しか見えない私達の発想は、傲慢と自分勝手としか言えないのではないだろうか。

多くの目に見えない力によって支えられてしか生きられない生き物です。

なのに人間は、他の生き物と違って考える事ができることを自慢し、欲望を叶えようとしている行動が、自然災害をより大きなものにしているように思えます。

長い歴史を持って、私の所までやっと届いたいのち。その命を届けて下さった人達の歴史と願いをい見つめる時が、今ここに頂いたのではないでしょうか。

その命が育まれる環境や生活を取り戻す事が必要なのでしょう。

その為には、「おかげさま」を感じ、感謝し、合掌する時間を毎日つくりたいものです。

みんなと共に生きるために。命の欲する方を向いて歩むために。

一年経って

聞光寺 当院

去年の4月にお寺に戻って来て、一年過ぎました。

聞光寺で生まれ育ってきましたが、これまでは学生という事で、一年を通してお寺に居ることはなく、一年を通してどのような事を聞光寺では行っているのか、殆ど知らなかったのだという事を実感した一年でした。そうして、住職がこれまで一人で行ってきた事を、やっと私も少しずつではありますが、横で見聞きしながら覚え始めたところです。

まだまだとは思いますが、きちんと受け継ぐべきものは受け継いでいきたいと思います。

そしてまた、多くの檀家の皆さんと出遇わせて頂いた一年でもありました。

まだまだ一年間では、すべての檀家の方々とお会いする事はできませんでしたが、それでもこれだけ多くの方々に聞光寺が支えられているのだという事を知り、私もこれからの聞光寺を支えていく者の一人としての意識を持ちながら、日々、過ごしていかなければと思っています。

どうぞ、これからも宜しくお願いします。

一寸一言

お内仏(仏壇)の中や周りをもう少し整理してほしいものです。

お内仏の中、または経机の上に不思議な道具が置いてあるのですが、ほとんどの人がおかしいと感じておられないようです。

それは、ローソクのくずや灯を付けた後のマッチ棒を入れる入れ物のことです。この入れ物は「ゴミ箱」だと思いますが、皆さんは大切な道具だと思っておられるのでしょうか。「ゴミ箱」はなくてはならない大切なものですが、あまり他の人の目に付くような所に置いておくものではないように思いますが如何でしょうか。

また、お内仏や座る所の周りを綺麗にすると、お参りも毎日気持ち良く出来るのではないでしょうか。

ローソク・お線香等は、一つの箱か経机の引き出しにしまわれたらすっきりすると思います。