発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第69号 2010/4/1発行

第68号

極楽は常住の国なり

参加する事の意義がある

今年は、カナダ・バンクーバーで開催された冬季オリンピックの話題で始まり、熱気のこもった応援の二月を迎えたようです。

その熱気も、最年少の高木美穂・15歳と浅田真央、上村愛子の三人にばかり集中していたと感じたのは、私だけでしょうか?たくさんのトップアスリートが参加している中で、三人への話題が、ほぼ三分の二位集中しているように感じました。

あまりにも集中しすぎて、出せる力も出せなくなるのではないかと心配しましたが、やはり評判になるトップアスリートは、上位入賞を果たす事が出来たようですが、他の人たちは、上位入賞が伝えられてからやっと話題になるように思われました。

そして、その少し後に行われたパラリンピックのあつかいはどうだったでしょうか。

身体に障害を持ちながら、その障害を乗り越えて、アスリートとして世界でがんばっている人たちのオリンピックですが、健全者のオリンピックに比べたら、参加人数ははるかに少ないけれど、同じ四年に一度の世界大会なのに、マスコミや新聞の扱いは、非常に元気の出ないような扱いのように感じられました。

最近わかったのですが、同じオリンピックなのに、メダル獲得者の褒賞金に、五対一位の大きな差があるという事です。

健全者は、自分の得意種目を一日中集中して練習が出来るようなシステムがあるようですし、メダルがとれそうな選手には、スポンサーが十二分な応援をしてくれます。

しかし、パラリンピックの選手たちのほとんどの人は、仕事をしながら練習の時間を作って、世界の人たちと競えるように頑張っているのです。

国を代表して出場する同じ世界大会なのに、何故このような違いがあるのでしょうか?

私はオリンピックの年になると、東京オリンピックのマラソン銅メダリストの、円谷幸吉さんの事を思い出すのです。

東京オリンピックの四年後のオリンピックの金メダルを期待され、一生懸命に練習をした結果、両親に「もう走れない」という遺書を残して自死されたのです。

アスリートは、常に自分の能力を向上させる為に、頑張っている事は間違いはないと思います。特に世界大会に出場するような選手は、誰が見ても分かっている事なのですが、周りがあまりにも「がんばれ!」という声を強くかけすぎているのではないでしょうか。

頑張ってきた結果を世界大会で表現する大会が、国と国との競争になってしまい、オリンピックを開催する目的が、クーベルタン男爵の「参加する事に意義がある」と言われた事と違ってきているのではないでしょうか。

選手は一番になる事を目指して頑張ってきた結果が、何番になろうと拍手されるべきものでしょう。

世界のほとんどの国と地域から集まってきているオリンピックが、国の利益や商売の手段にするような集まりであったならば、選手・応援団・審判の汗は、無意味なものになってしまうのではないでしょうか。

オリンピックが「平和の祭典」と言われ、旗は、地球の五大大陸を表した五色の五つの輪が描かれている意味を再確認したいものです。

当院が帰ってきました

この度、長い間京都の学校に行っておりました当院(長男)が、後に住職になれる勉強を済ませて帰ってくる事になりました。

これからは、お檀家の方々をはじめ、沢山の人たちと出会いながら、考え、学び、育てられてゆく事でしょう。色々な出会いを作っていただきたいと願っております。

すぐにはなりませんが、当院が仕事に慣れてくれば、人数が増えた分、今まで御寺の都合を優先させて頂いた事が、皆様の都合にかなうように出来るのではないで「しょうか。


戻ってきました

この4月より、京都での勉強を終えて、柏崎に帰ってきました、長男の宗温そううんです。

これまでも夏休みなどの長期休み中は帰ってきて少し手伝っていましたが、これからは本格的に御寺の仕事に関わっていくことになりました。

京都での学びを通して、基本的な仏教の教えや、浄土真宗の親鸞聖人の教えなど、知識としてはいくらか蓄えてきましたが、それらが御寺での生活の中で生かせるかどうかは、まだまだ経験不足だと思いますので、これからも学んでいこうと思います。ご指導お願いします。

そして、住職の後を継いでいけるようになりたいと願っております。皆さんと共にお寺の意味を改めて確認していきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。