発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第68号 2010/1/1発行

第67号

愛欲の広海に沈没す

違って楽しい

最近のテレビや雑誌で取り上げられる中の一つに、「食」があります。

私たちは、美味しいものを食べたい気持ちは幾つになっても変らないでしょう。自分がおいしいと感じた事を、にこやかに主張し、意見を言うのですから、一番楽しい時間かもしれません。

しかし、自分がおいしく思う物が、一番であり最高の物であるという主張が強すぎはしないでしょうか。そして、「美味しさ」を周りの人に強制してはいないでしょうか。

「美味しい、まずい」は、人それぞれに違うと思います。

食べなくては生きてゆけない生き物は、生きている場所にあるものしか食べられなかった時間が長く、そこに住むものは、そこにあるものを食べ命をつなぎ、保存ができるように考え、食べやすいように工夫をして、自分たちの生活に合うものを作り上げてきたのでしょう。だから、家の味やふるさとの味は飽きないのだと思います。

長い時間をかけて作り上げてきたものを、大切にしなくなってきてはいませんか。

地球が小さくなったように感じられるほど、何処からでも好きなものを手に入れる事が出来るようになりましたけれど、世界の味を、全部美味しいと感じられるほどの感覚は、なかなか持つ事はできません。

自分の「美味しい」と思う気持ちを、他の人に押し付けてはいけません。

それぞれが生きてきた生き様に関わる問題なので、「私は○○○のように感じる。思う。」と、最後に言わなければならないように思います。

誰もが、旅行ををしたり、仕事などで、色々な町に行かれた時に、知らなかったけれど美味しかった物や、いつも食べているものが、別な味付けのために美味しく感じられなかった事が、多々あったのではないでしょうか。

しかし、それぞれの味は、その地域の人が長い時間をかけて作り上げたあじつけなのです。

私たちが、いやな味と感じても、その地域の人にとっては、誇りを持って生きて行く為には、なくてはならない大切な「心」といってよいものだと思います。

日本を大きく分けると、東日本と西日本に分ける事が出来ます。

この二つの違いは、その地域に生きる人たちの生き様に関わる違いになっています。

ニワトリが先か卵が先かの話と同じように、その食があって、この生活があり、この生活があればこそこの食材や味が生まれてくるのでしょう。

それが、あらゆる事に影響して、文化という形をとっていると思います。

私が感じとる事のできる部分は、ほんの少しだけですが、私と違う他も、同じ時代を、小さな地球で共に生きている事を認め合い、違ってきた事の不思議さを、楽しみ、出会ってゆく事の喜びを生きる事が面白いのではないでしょうか。

報恩講
報恩講

毎年十月の下旬(今年は二十六・二十七日)に、聞光寺では報恩講が勤まっております。

報恩講は、真宗門徒の行事の中で一番大切にする行事であり、世間でいう年末年始にあたる行事です。

親鸞聖人のいただかれた仏教の教えを聞きながら、一年を振り返り、あらためて新しい一年を仏教の教えと共に生きて行こうとする出発式にあたります。

近くの人に声をかけながら、是非、ご参加ください。

夜の会もありますので、泊る事が出来るようになっております。


墓地整備と整地の件

中越沖地震によって、以前より気にかけていた聞光寺墓地が地盤沈下をし、排水がより悪くなってしまいました。

雨の日の翌日は、靴で歩けない所もあり、今年中に、お墓参りがスムーズにできるように整備・整地をするようにお願いしてありますので、もうしばらくお待ちください。

また、お墓を動かされた方もおられ、空地が多くできました。整地をし、使えるようにしたいと考えております。