第67号 2009/10/1発行
おめさん、そろっと参ろうて
時々見よう、初心という鏡
8月30日の衆議院議員選挙で、五十年以上続いた自由民主党主導の政治が「NO」という形で、民主党主導の政治に変わる事になりました。
政治の形が永くなりすぎて慣れっこになってしまっていたのではないだろうか。
時々変わった方がいいのにとは昔から思ってはいましたが、少し長すぎたのかもしれません。
これからどうなってゆくのか不安ではありますが、議員のだれもが国民の事を思って活動して下さるのですから、今までよりも良くなる事を楽しみにして見守ってゆきましょう。
煩悩具足といわれている私たち人間は、長い事同じ事をしながら同じ所に居ると、自分が何の為に如何してここに居るのかが分からなくなってしまい、事の善し悪しが、自分の損得のところで考えてしまうようになってくるようです。
夢を持ち、方向を定めて立ち上がった事が分からなくなり、自分に災いが来ないで、そこに居れる事だけが手柄となって、今いる所に甘んじてしまっている私が居るような気がします。
そんな私を、見つめ直し、新しい一歩を踏み出させようと働いてきたのが、今回の衆議院議員選挙のような気がします。
誰もが心地よいぬるま湯にはいって、「極楽極楽」と言いながら、足を救われて「アップアップ」と死にかけたりする事を繰り返して成長してゆくのではないでしょうか。
よく「初心忘れるべからず」という言葉は有名ですが、誰もが思い、言うのは簡単ではあるけれど、今までやってきた事全体が、今の私を作ってきたのですから、初心に帰って思い返すという事は大変難しい事なのではないでしょうか。
しかし、その初心を、繰り返し繰り返し確認して行かなければ私たちは、今この時ここに居る私の意味が無くなってしまうのではないでしょうか。
今この時ここに居る私の意味を無くしてしまったら、ただその時その時に、好き勝手をして、悩み、迷い、苦しむだけの人間が存在し、空しく死を迎えるのを待っていることに他ならないのではないだろうか。
- ○五濁増のしるしには
この世の道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり - ○悲しきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす - 「親鸞聖人愚禿悲歎述懐和讃」
今まで歩んできた私を、初心に照らされてみる事とともに、今ここにいる自分が、何をしたいのか、どの方向を目指したいのかを、改めて、新たなる初心を掲げてゆく事が必要なのではないでしょうか。
そしてその新しい一歩を歩みだす事が、「慣れる」という事を防ぐ一番の方法ではないでしょうか。

上の看板が、本堂建設予定地に立ちました。
地盤改良・基礎工事等が始まるのは来年の春になります。姿を見せるのは、まだまだ先の事ですが、お墓参りや、近くへ来られた時は、お寺に元気な顔を見せて下さい。
また、墓地の地盤整備等も手をつけるように準備をしておりますので、もうしばらくお待ちください。長いこと申し訳ございませんでした。
