第129号 2025/4/1発行
煩悩成就の身と知る
どうにかしたいが どうにもできない
今シーズンの冬は、平年より非常に多い積雪と寒波がありました。それだけではなく、平年安心して冬を過ごしている太平洋側の都市や、西日本の多くの都市も、思いもよらぬ大雪が降り、長い時間をかけて作り上げてきた日常生活が、変わってきているという現実を、しっかり受け止めなくてはならないのではないだろうか。
私たちの日常生活は、毎日が違うけれども、昨日と同じようなことを繰り返し歩んでいるように感じられてしまう時々に、大きな変化に遭遇してゆく生活です。
なかなか春の花が咲かないで、待ち焦がれている時期は、乾燥注意報が頻繁に出てちょっとしたミスで山火事を起こしてします。山火事は、消火、鎮火に時間がかかり、大火事になることが多く、雨が降るのを待っているだけ。何とかしたくてもどうにもならないことが起こってきます。
しかし、どうしてもそうなるのかは誰にもわからない不思議なことも沢山起こってくるのです。そしてそれらのことが私にどのようなご縁として関係してくるのかもわかりません。
私たちは、何がどのような形で私とご縁が結ばれるのか分からない処、すなわち、娑婆というところに生き、生活しているのですから、何が何時、何処でどんな風に起きても不思議ではないのです。
毎日が、『日々是好日』という言葉がありますが、私が二十代のころ仕事をしてたところの先生が、前記の熟語を使って『刻々是好刻』と読み替え、大切にされていました。そして自分の茶室を『好刻庵』と名付け、仕事や生活を楽しんでおられました。
死に向かって一生懸命に生きている私たちは、その時その時の歩む方向を大切にしなければならないことを、私たちの命そのものの願いではないでしょうか。
煩悩具足の凡愚である私たちは、その身そのまま「天上天下唯我独尊」という尊厳を持ちながらともに生きているところに、何がどのように起こるかわからないけれど、有意義で朗らかに生きようとする、そして長い時間をかけて私にところまで届けられた命の願いからの叫びが聞こえてくるような私の歩みでなければ、私自身の喜びやうれしさは感じられないのではないだろうか。
お釈迦様が七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と叫ばれた声を聞き、聞こえた方向に向き直さなければ、安心した、落ち着き朗らかな生活にはならないのではないだろうか。
公開講座のご案内
6月21日(土)私が聞光寺に来る前より開催されていた伝統ある講演会です。
今年の「仏教文化講演会」の講題は、『被災者となりて、念うこと』
能登で珠洲焼作家として活躍されておられる「篠原 敬」氏をお招きしての講演会です。
被害にあっての対応や、そこからの出発など、どんなご縁に出会っても歩んで行けることをお話しいただけるのではないでしょうか。
日 時 6月21日(土)14時より(開場13時)
会 場 柏崎市文化会館 アルフォーレ大ホール
入場券 1,000円
入場券はお近くの真宗大谷派寺院にてお求めください。
関東の親鸞聖人
当院 井上宗温
毎年、聞光寺の報恩講では親鸞聖人の生涯が描かれた『御伝鈔』を拝読していますが、長い物語で上下巻の二巻構成になっていますので、上巻と下巻のどちらか一方ずつを一年毎に拝読しています。その下巻には、親鸞聖人が関東でご活躍されていた頃の物語が幾つも記されています。
親鸞聖人が二十年程草庵に住んでいて、そこに多くの人々が訪れていたと書かれている笠間郡の稲田郷という場所は、今では稲田御坊と言われる大きなお寺が建っていて、観光名所の一つとなっています。
親鸞聖人が常陸の国で教えを広めている時に坂敷山にいた山伏弁円は、最初は親鸞聖人を害そうと企てていましたが、親鸞聖人に出会い、仏教に帰依し明法房という名を親鸞聖人から頂いたそうです。
その舞台であった板敷山や明法房が開基となったお寺も同じく親鸞聖人ゆかりの地として有名になっています。
その他にも『御伝鈔』には、箱根神社でのエピソードや関東のご門徒が熊野に参詣しにいった時の話等が記されていますが、それらに由来する場所が関東には多く残っています。また、聞光寺の開基が得度をし、僧侶となったお寺も茨城県にあります。
そんな関東についての聞法会を5月と6月計画しておりますので、多くの皆様にご参加くださればと思っています。よろしくお願いします。