発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第60号 2008/1/01発行

すべての人は死に向かって生きている

新しい年を迎えて

毎年のように、一年の終わりにはその年を振り返り、新年には、これから迎える未来に、幸多かれと願い、自身で方向を決め歩き始めます。毎年同じような事をしているようですが、皆さんはいかがですか。

やっぱり振り返らなければ進めないのが人間なのでしょう。

はごいた

私自身を振り返ると同時に、私たちを取り巻く環境や状況を見つめて見ますと、昨年京都の寺(清水寺)が募集した一年を表す一字が、「偽」という字なのですから、大変な時代を私たちは生きているのだという事になるのでしょう。

「偽」という字で表された事について、大抵の人は頷いたのではないでしょうか。

「偽」のはびこる社会を怒っている私自身はどうなっているのでしょうか。大きな声でその社会を批判できるのだろうか。

自分や家族など近しいものだけが、いや自分だけが少しでも有利になるように、得をする為に嘘をついたり、他のせいにする。そしてまた、その嘘を正当化するためにまた嘘をつく。一生懸命に生きる事が、偽りを隠すための努力に使われているだけになってはいないでしょうか。

心の奥底に痛みを感じているけれど、何が本当で何が嘘なのか判らなくなってしまっているのではないでしょうか。

私たちは、一生懸命やっても、間違いを犯してしまうことの多い人間なのです。その事は、頭では分かっているのだけれども、自分が一番かわいいので、いかなければならない方向を間違ってしまうのです。そしてそれを、自分のせいにしたくないので嘘をついたり、人のせいにしてしまうのです。

自分を守ろうとする事が、本当に行かなければならない道を、どんどん狭いものにし、どうにもならなくしてしまっています。正直になればいいのに、何で正直になれないのでしょう。

「正直者が馬鹿を見る」という言葉がまかり通ってしまう社会になってしまったのでしょうか。

一方に「正直は一生宝」という言葉があるように、生かされて生きている私たちは、ただ信じること、信じ続ける勇気を持つことではないでしょうか。

「偽」ではなく、「本当に生きる」生活は、私の関わる全部を信じ正直に向き合い、お蔭様を大切にする生活を方向としてゆくことなのではないでしょうか。

新しい年は、世界中の誰でもが一緒になって、手を繋ぎ、肩を抱き合いながら大笑いの出来る年になる様な方向を持つ、幸福な漢字一字で表せる素晴らしい年にしたいものですね。

庫裡の外に置かれた梵鐘

ご本尊様ご修復

中越地震の時に、ご本尊様は倒れられて、たくさん骨折されてしまいました。報恩講前でしたので、終わるとすぐに京都へ送り、修復していただき、また本堂に安置いたしておりました。

その修復の時、首の後ろから、作者と製作年が発見された事は、三年前にお知らせしました。

しかし、7月16日の中越沖地震によって本堂が倒壊した時に、天井の下敷きとなられました。

地震後すぐに駆けつけて下さった小千谷専正寺のご住職と、小国珍相寺の若さんと私の三人で、倒れた屋根の下に入り一生懸命に探しました。3時過ぎの余震がきた時には、まだ頭部が見つからずもぐって探しておりました。4時頃70%くらい見つけたので後は危険なので出てきました。併せれば姿形は分かるけれど、大きく割れておりました。

ご本尊様の台座の修理

二日後に駆けつけて下さった京都の仏具やさんに、しっかりと梱包していただき持って行っていただきました。

探し当てた70%から、仏師の手によって、製作時代や送ってきた年月等を考えて、完全復元をしていただくことができました。

ご本尊様の直るのが、年を越すように聞いていたのに、仏師さんやたくさんの職人さんの力によって、正月を聞光寺で迎えるようにしていただきました。悲しい気持ちの中に、一つの光をいただいたような気持ちです。

ご本尊様と共に年を越し、新しい年のご挨拶が出来た事は、嬉しいばかりです。

ぜひ皆様も、先祖の方々が大切にして、向かい合われてこられたご本尊様と共に、生活して行くような歩みをしてゆきましょう。

何時来られてもお参りが出来るようにしてあります。また、狭くなっておりますが、年間行事にありますように、色々な会がありますので、ぜひ参加してください。

直ってこられたご本尊様の顔

お寺のこれから

昨年の7月16日に中越沖地震によって、柏崎・刈羽地域は甚大な被害を受けてしまいました。被害の大きさに、初めのうちは足がすくみ、中々立ち上がることが出来ないようだった気持ちが、笑い顔が戻り、前を見て歩くようになってきたようですね。

聞光寺におきましては、たくさんの方々からの応援をいただきながら、寺院活動に支障が出ない様に頑張っておりますが、以前と違っておりますので、皆様にはたくさんのご迷惑をおかけする事があると思いますが、その時はお許し下さい。

ところで風評では、聞光寺の事について、色々の事が耳に入ってきます。私だけでなく、皆様も耳にしておられる事だとは思いますが、気にかけないで下さい。

聞光寺では、中越沖地震において、全ご門徒さんが皆、大なり小なりの被害を受けられておられます。また、半壊以上の認定を受けられた方が二割以上おられますので、寺の話を出すことをしておりません。

ご門徒の皆様が、これからどの様に歩まれるのか、自身の方向を決められ、落ち着かれた頃に、寺の事を共に考え、進んでゆきたいと思っております。

それまでは、寺の事は白紙だと思ってください。

寺での行事は今まで通し全部やってゆくつもりでおります。以前より大分狭いですし、段取りも付けにくい事が多々あることだと思いますが、一生懸命頑張りますので、参加・ご協力をお願いいたします。

ひとこと

早めに済まさないと、一年の区切りがスッキリしない気持ちで12月を迎えましたが、一年の締め括りは、次から次と出てくるのですね。

日々の生活が、一つひとつに節を持って歩まなければならないのでしょう。

震災復興が楽しく生き生きと歩める方向として、皆で一緒に考えることが出来れば、素晴らしい形として現れてくることでしょう。

共に一所懸命頑張りましょう。